日本人が歴史上初めて登場したのは『邪馬台国の卑弥呼』でしょ?と思ってる人も多いのではないかと思います。
日本人が日本・世界の歴史書上に初めて名前を残した人物。
その名は『帥升』
誰?
そんな日本人にとって記念すべき人物、帥升。
まったく有名じゃないですね。どんな人物なのでしょう?
実はこの帥升、詳しいことはわかっていません。というのも彼に関する記述は『後漢書』の『東夷伝』にあるのですが、
「安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う」
―――以上。
短いですね、、、。
じつはこれ、役職名なのか名前なのかもわからないのです。そもそも名前が「帥升」なのか「帥升等」までが名前なのか。帥升とは倭国の王なのか?それもわかりません。そんなところから議論されている人物です。
さかのぼること約50年。西暦57年に『倭奴国』が後漢に朝貢していて金印をもらっている形跡もある。この倭奴国と倭国との関係は?それもよくわかっていません。
実はもう少し帥升に関しての記述がほかの文献にある。
『日本書紀纂疏』は1455年から1457年に一条兼良が編纂したものだが、先述した『後漢書』から引用したものがある。
「東漢書曰く、倭面国の人は男女皆、顔と身体に入墨をしている。そのため面の字を加えてこれを(倭面国と)呼ぶ。東漢書曰く、安帝の永初元年、倭面上国王師升等、奴隷160人を献じた。」
倭人は皆顔と身体に入墨をしている。
160人もの奴隷を献じたとなると、その人数を連れてきた倭国の一団も相当な人数だったのではないだろうか。
ここからわかるのはとにかく入墨を入れた100人を超える集団海を越えて突然中国大陸にやってきた。
日本人の記念すべき世界デビュー。当時の後漢の海沿いに住んでいた人たちは相当驚いたのではないだろうか。
ともあれ、帥升は全てにおいて謎に包まれている。その謎が解明される日はくるのだろうか。
以下に帥升に関するいくつかの説を羅列してみる。
・そもそも帥升とはいったい何者なのか? ・邪馬台国との関係は? ・神話との関係は? ・帥升=スサ=スサノオではないか? ・天皇との関係は? ・崇神天皇との共通性 ・帥はソツとも読む。ソッショウとも呼べる? ・将帥(役職)が昇(升)=昇進し、等(等級)が上がった。 ・倭国はどういった国なのか? ・倭面上=邪馬台=大和と読めるのでは? ・倭の面土国=メタ国、筑紫の米多国=メタ国と関係があるのでは? ・帥升>倭国大乱>卑弥呼への流れの中でのそれぞれの関係は?
上げればキリがないが、とにかく多くの謎に包まれた記念すべき『日本人第一号帥升』