日本の歴史を語るのに、隣の朝鮮半島との関りは外せない。
逆に朝鮮の歴史から見ても日本との関りは深く、切っても切れない関係になっている。
朝鮮の歴史は『檀君神話』に始まり、『箕子朝鮮』、『衛氏朝鮮』と続き、その後は『高句麗』、『百済』、そして『新羅』の三国時代が起こった。 その新羅の建国期。日本から新羅に渡った倭人がいた。
瓠公(ここう)
1145年、高麗の時代に完成した朝鮮半島最古の歴史書『三国史記』によると、
瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰。度海而来。故称瓠公。
日本から新羅に海を渡った倭人がいた。 彼は『瓠(ひさご)』を腰にぶら下げていたことから『瓠公』と呼ばれた。
脱解尼師今(だっかいにしきん)2年(58年)、瓠公は最高官位である大輔に任命された。 瓠公は新羅の3氏(朴氏、金氏、昔氏)に大きくかかわることになる。
馬韓との外交
赫居世38年(前20年)、『馬韓』との国交を開くために、瓠公は馬韓を訪問した。 馬韓王は馬韓の属国である辰韓諸国の一国に過ぎない新羅が貢物を送らないことを責めた。 瓠公は新羅に聖王(赫居世と閼英夫人)が現れたことを主張して馬韓王の失礼を咎めた。 馬韓王は怒り瓠公を殺そうとしたが、馬韓の重臣が王を諌めたため、瓠公は許されて新羅に帰国した。
当時強い勢力を持っていた馬韓を相手に対等に外交を行おうとしていた。
新羅建国の王・赫居世居西干は倭人
赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん)は初代斯盧王。
『三国史記』新羅本紀
楊山の麓の蘿井(慶州市塔里)の林で、馬が跪いて嘶いていることに気がついた高墟村の長の蘇伐都利(ソボルトリ)がその場所に行くと、馬が消えてあとには大きい卵があった。 その卵を割ると中から男の子が出てきたので、村長たちはこれを育てた。
前漢の五鳳元年(前57年)赫居世は13歳、人となりが優れ、出生が神がかりでもあったために6村の長は彼を推戴して王とした。 即位するとともに居西干と名乗り、国号を徐那伐(ソナボル)といった。あるいは斯羅(シラ)・斯盧(シロ)ともいう。
(**魏の時代には国号は新羅に変わっている)
在位61年にして紀元4年3月に死去
赫居世のように卵生で降臨する型の神話はアジア各地でみられ、出生の内容が伝説の域を出ないのでさまざまな論争がなされている。
『三国遺事』によると赫居世の生まれ出た卵が瓠の様な大きさだったため、辰韓の語で瓠を意味する「朴(バク)」を姓とした。
瓠を腰にぶら下げて海を渡ってきた瓠公。生れ出た卵が瓠の様な大きさだった赫居世。 瓠公と赫居世。同一人物、同族を指しているのではないかといわれている 。
金閼智(あっち)の発見
『三国遺事』
永年3年(65年)3月、倭人・瓠公が、夜中に月城の西方の里を歩いていたところ、始林の中に光を見た。紫色の雲の中から金色の小箱が落ちてきて木の枝に引っかかった。箱からは光が差していて、木の根元には白い鶏がいて鳴いていた。
脱解尼師今に報告したところ、尼師今は始林に向かい、小箱を開くと中から小さな男の子がいて、立ち上がった。 尼師今はこの子を抱いて王宮へと帰ったが、鳥や獣がついてきて、喜び踊っていた。吉日を選んでこの子を太子に封じたが、後に婆娑(5代王婆娑尼師今)に譲って、王位にはつかなかった。
この後、金閼智は金氏の祖になり、新羅第13代王以降は金氏が王統を占めることになる。
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現在の日韓問題もあって、このような話は非常に繊細な内容かもしれないが、内容を記述しているのは『三国史記』や『三国遺事』など朝鮮側で書かれた歴史書で、日本側からの視点で書かれているものではない。 また、新羅には秦韓と呼ばれてたことから、中国人起源説や、インド起源など様々な説がある。