【近江屋事件】龍馬暗殺までの足跡

坂本龍馬暗殺について、数多くの黒幕について本やWebなどで多くの議論がなされているが、誰が犯人かはそちらにお任せして、ここでは会津藩松平容保の命により見廻組が実行したという説が信憑性が高いという観点から薩長同盟大政奉還から龍馬暗殺直前までの間で龍馬を中心に動きをまとめてみた。

 

 

慶応2年(1866年)

121

薩長同盟締結

坂本龍馬中岡慎太郎らの仲介により、西郷隆盛薩摩藩)と桂小五郎長州藩)が同盟を締結。これにより倒幕運動は大きく加速していった。

 

以後、龍馬は幕府により狙われ始める。

 

123

寺田屋事件 

薩長同盟を斡旋していた坂本龍馬を伏見奉行・林忠交(ただたか)は捕縛・暗殺を命令。

龍馬の妻・お龍や護衛役・三吉慎蔵の活躍により九死に一生を得る。

 

龍馬は襲撃を受けた際、銃の発砲で捕り方の二人を殺してしまう。そのことが龍馬を重罪人と決定付けさせ、後の近江屋事件につながってくる。

 

その後、薩摩藩に保護された。

 

34

薩摩へ

薩摩藩船・三国丸で西郷らと薩摩へ渡る。

 

310

日本人初のハネムー

鹿児島に到着。薩摩藩士・吉井幸輔が同行し、傷を癒すため霧島温泉に湯治に行く。

その後、高千穂峰に登り天の逆鉾を抜く。

 

現代、「龍馬ハネムーンウォークin霧島」なるものが行われているそうでビックリした、、。

 

67

第二次長州征伐開始

江戸幕府 VS 長州藩

 

龍馬は薩摩を離れ、第二次長州征伐で幕府と闘う長州へ向かう。途中、長崎の小曾根英四朗にお龍を預ける。

 

616日夜

龍馬も戦闘に参加していた

小倉口、長州戦艦・丙寅丸は高杉晋作の指揮で北九州の田野浦湾に、そして乙丑丸は龍馬が指揮をし門司浦へ向かい砲撃を行う。

 

慶応3年(1867年)

2

清風亭会談

龍馬はかつての同士であった武市半平太岡田以蔵らの仇でもある土佐藩参政・後藤象二郎坂本龍馬は会談を行う。

二人は和解。龍馬はそこで大政奉還を後藤に説き、龍馬と中岡慎太郎は脱藩罪を赦免。

以後、亀山社中土佐藩に属し、海援隊に改名。

 

69

船中八策

龍馬と後藤は藩船・夕顔丸に乗り長崎を発ち、兵庫へ向かう。この船上で政治綱領「船中八策」を後藤に提示した。

 

622

薩土盟約成立

土佐藩士・乾退助らと薩摩藩西郷隆盛小松帯刀らが中岡慎太郎の仲介で会見。薩土密約が成立。

 

624

姉・乙女へ手紙を書く。

龍馬は手紙の中で「私は京の三条河原町の酢屋に泊まっている」と言っている。

 

626

芸州藩が薩摩と土佐に加わり、薩土芸盟約が成立

 

76

イカロス号事件

龍馬の不在中に長崎で英国軍艦イカロス号の水夫が殺害され、海援隊隊士が容疑にかけられていたため龍馬と後藤はこの対応の為長崎へ戻る。

 

英国大使パークスと9月まで談判にあたっていた。

 

9

妻・お龍との永遠の別れ

長州の伊藤家のもとにいたお龍と会い、再び京へ向かう、

これが二人の永遠の別れとなる

 

929

土佐の実家に戻り、姉や家族と再会する。

 

103

後藤象次郎が二条城に登城し山内容堂らの連名で老中・板倉勝静大政奉還建白書を提出。

 

109

帰京、酢屋へ戻る。

 

1013

在京の十万石以上の諸藩に大政奉還受諾の諮問書が示される。

龍馬は二条城へ登城していた後藤象二郎大政奉還の結果を待っている。

 

龍馬の依頼を受け、尾崎三良は新官制議定書を作成。ここに龍馬の名前はなかった

 

1014

明治天皇に上奏

 

1015

大政奉還 勅許

ここに1603年より264年続いた徳川政権は瓦解した。

 

1017

薩摩藩士の帰国

大政奉還に激怒している会津藩薩摩藩邸を襲撃するのではないかとの噂により、西郷隆盛薩摩藩の主要人物は京を離れた。

 

1023

後藤から、山内容堂の書簡を越前の松平春嶽に届けるように命令を受ける。岡本健三郎とともに越前へ立つ。

 

111

松平春嶽に拝謁。後藤からの書簡を渡し、上洛要請を伝える。

 

112

たばこ屋旅館で三岡八郎(のちの由利公正)と新政府財政案について語り明かす。

当時、謹慎中だった三岡に監視の立会人がいたにもかかわらず、「三岡、話すことが山ほどあるぜよ」と叫んだ。

 

五箇条の御誓文の原文となった「議事之体大意」の構想を練っていたとされる。

 

113

越前を離れる。

 

115

帰京

龍馬は拠点にしていた材木商・酢屋から醤油商・近江屋に移した。

 

材木商・酢屋は海援隊の本部のある場所でもともと拠点にしていたが、幕府からは場所が特定されていた可能性もあり龍馬は酢屋から離れた。それでも近江屋は滞在するには危険な場所でもあった。

 

龍馬は旧幕府勢力も新政府に加える体制を作るため永井にはこの時期頻繁に面会した。

 

三岡の新政府入りを推薦する手紙を後藤象二郎宛てに書いた。「越行の記」

 

同日

薩摩藩吉井幸輔は龍馬の身を案じ二本松・薩摩藩邸に入るように勧めたが、龍馬は土佐藩への嫌味になると断り近江屋にとどまった。

***龍馬は土佐藩2度脱藩しているので土佐藩邸には入らず、また薩摩藩に入るということも当てつけのように見えるのを気にして近江屋に居続けることを選んだ。脱藩は許されていたが、土佐藩邸は門限が厳しく設定されていたので、他者との交流を重視していた龍馬は自由でいれる近江屋を選んだ可能性がある。また土佐の下級武士である下士の立場も土佐藩邸を選ばなかった理由かもしれない。

***土佐藩邸を選ばなかった理由について、暗殺後、事件を知った西郷隆盛は土佐の後藤象二郎に対し以下のような妻・お龍の証言が残っている。

「龍馬、中岡が河原町で殺されたと聞き、西郷は怒髪天を衝くの形相凄まじく、後藤を捕えて、貴様が苦情を云わずに土佐屋敷へ入れて置いたならこのようなことにはならないのだ。全体土佐の奴らは薄情でいかん、と怒鳴りつけ、さすがの西郷も口惜泣きに泣いたそうです」

龍馬と土佐藩の間で何か小さな揉め事があったのかもしれない。

 

1110

福井藩士・中根雪江宛てに由利公正を出仕させるように懇願する手紙を書く

 

1111

会津藩若年寄・永井の元を午前と午後2度訪問

***永井邸は二条城、京都所司代、見廻組屯所に近く、龍馬にとっては最も危険な地帯であった

 

**永井は龍馬に、昼間に会うことは周りから嫌疑をかけられるので、なるべく夜中に来るように諭した。

 

**暗殺実行犯である佐々木只三郎は永井の滞在している大和郡山藩邸のわずか目の前の松林寺に下宿していて、この日あたりから龍馬が近江屋に滞在しているのを特定していた可能性がある。

 

1112

この日あたりから風邪をひく

 

1113

会津藩若年寄・永井の元を訪問

 

御陵衛士伊東甲子太郎(元新選組参謀)と、同じくの藤堂平助(元新選組8番隊組長)が近江屋を訪れ、2時間ほど語り合ったのち、見廻組と新選組が命を狙っているから土佐藩邸に移るように勧めたが龍馬はそれでも近江屋に留まった。

 

***伊東と藤堂は龍馬暗殺の3日後、油小路の変で新選組に襲撃され暗殺されることになる。

寺田屋お登勢寺田屋で不穏な男が龍馬が近江屋に滞在しているとの話を聞き、近江屋に使いを送り、下宿にいるのは危険なのですぐに藩邸に移るべき、と伝えている。

龍馬はそれに対し、先日、永井玄蕃頭(永井尚志)、会津肥後守松平容保)と面会し、今は何も憂いることは何もないので安心せよ、と返している。

 

***龍馬は手紙で宿を色々探しているけれど適当なところが見つからないと書いている。

選択肢は土佐藩邸や薩摩藩邸、馴染みのあった寺田屋や酢屋などがあったが龍馬は近江屋を選んだ。

また土佐藩邸に不都合があり入ることができないといった内容がある

このことから龍馬が潜伏先を探すのに苦心していたのが読み取れる。

 

1114

会津藩若年寄・永井の元に訪問

 

龍馬は近江屋の土蔵を隠れ家にし梯子をかけて、いざとなれば裏の称名寺の墓地を通って土佐藩邸に逃げ込む逃走ルートを確保していた。

ところが風邪をひいてしまい、母屋の奥の八畳間に移った。

 

新選組に捕えられた土佐藩士・宮川助五郎が京と奉行所から釈放が決まり、福岡藤次から陸援隊に引き取ってほしいと要望があった。

 

1115

坂本龍馬 誕生日

 

中岡は宮川を引き取る話をしに土佐藩邸に福岡を訪ねたが留守だったため、近江屋に龍馬に会いに行く。

 

見廻組の与頭・佐々木只三郎の下宿先に、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、土肥仲蔵、桜井大三郎、そして桂隼之助が集まった。

坂本龍馬に不審の儀があり、前年の寺田屋にて奉行所の同心を2名打ち倒し逃亡している。現在、坂本龍馬は近江屋に滞在しており、今回は取り逃がすことなく捕縛し、手に余る場合は討ち取ってよいと指図があった。

 

午後2

一同は近江屋に向かい、桂が一足先に在否を探ったところ留守だったため東山周辺で時間を潰した。

桂早之介が近江屋を張り込み、龍馬が一人になるのを待つ

 

午後3時頃

板倉(淡海)槐堂(かいどう)が来て、誕生日の祝いで自筆の寒椿白梅図を龍馬に与えた

 

午後6

中岡慎太郎が龍馬を訪ね、新選組にとらわれていた仲間の処遇三条制札事件について話す。

 

午後7

中岡の書生峰吉が中岡から託された手紙の返書をもって近江屋へ来る。

 

午後8

岡本健三郎は所要のため外出。

 

腹を空かせた龍馬は、菊屋峯吉に軍鶏を買ってくるように頼んだ。この日は、みぞれ混じりの非常に寒い日で、風邪気味の龍馬は、真綿の胴着を着込んで厚着をしていた。

 

午後8時過ぎ

何者かが近江屋の戸をドンドンと叩き、「坂本氏に至急面会したい」と言った。山田藤吉が表戸を開けると、見知らぬ男が「十津川郷士」を名乗って、懐から「札名刺」を取り出した。
 

藤吉は龍馬に来客があることを伝えた。渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助は藤吉の後に続いた。

佐々木只三郎は2の登り口に、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎は台所周辺を見張っていた。

 

で眠っていた、近江屋夫妻を取り押さえる。

 

犯人は階段の元でボディーガードである力士の藤吉を切り殺す。

(部屋を出てきたときに切り殺されたとも)

***本来、藤吉はやり過ごす予定だったが、2まで上がっていた実行犯の一人が鉢合わせてしまったため藤吉を切り殺した。

 

龍馬は藤吉の物音を聞き、「ほたえな」とといった。(土佐弁で騒ぐなの意)

普段藤吉と峰吉が相撲の遊びをしていたため、龍馬はふざけているのかと思った。

 

***実行犯桂早之介、高橋安太郎、渡辺吉太郎

 

桂は8畳間に入り、座ったあと小太刀を右に置き、敵意がないことを示した。

龍馬が名刺をみる。

 

刺客が刀を瞬時に持ち、一刀一閃――――。