歴史ファイル

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【新選組 全隊士①】 壬生浪士結成二十四士

文久3年3月 壬生浪士結成時  合計24名

芹沢一派

芹沢鴨 壬生浪士組初代・筆頭局長

神道無念流・免許皆伝。鉄の扇をいつも持ち歩いていた。 水戸脱藩浪士。江戸で浪士隊に参加し、六番組小頭に任命されている。 その後壬生浪士組の筆頭局長となる。局長は他に近藤と新見がいる。 隊内で随一の豪胆の者だったが、酒癖が悪く短気で粗暴、問題を起こすことが多かったため近藤一派に粛清・暗殺された。 尊王攘夷の思想の持ち主で、暗殺される数日前、有栖川宮熾仁親王に仕えたいと申し出ていた。 暗殺された理由はここにあるのではないかと新説が発見されている。 f:id:Katemato:20190717184200j:plain

新見錦 壬生浪士組・初代局長

神道無念流・免許皆伝で腕は達人の域だった。 水戸藩出身。浪士組に参加、三番組小頭として京都へ。 芹沢一派。壬生浪士組の三人いる局長のうちの一人。後に降格。 芹沢より乱暴狼藉が過ぎたといわれる。その割には存在が薄い。 近藤一派に詰め寄られ切腹させられた。

田中伊織

資料が乏しく、多くのことが不明。 壬生寺内の新選組隊士の墓所に共に葬られている。 芹沢派の墓と近いところにあること、墓石に刻まれた没日が彼らと近いため新見錦と同一人物とされる。 壬生浪士結成二十四士には数えられない。

平山五郎 壬生浪士組・副長助勤

姫路浪人。神道無念流・免許皆伝 花火の事故で左目を失って隻眼だった。 浪士組に参加し、芹沢の六番隊に所属。壬生浪士組では幹部・副長助勤。 芹沢と同日・同室で就寝中に斬殺された。即死だった。

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平間重助 壬生浪士組・副長助勤、勘定方取締

水戸脱藩浪士。芹沢の門人で神道無念流・目録 平素よりあまり酒を飲まなかった。芹沢暗殺当日、酒にも酔わず、芹沢の部屋から遠い部屋で就寝していたため難を逃れることができた。 郷里には戻らず、名を諏訪部重助と変え岩手県で養蚕教師となった。

野口健司  壬生浪士組・副長助勤

水戸藩出身、神道無念流・目録 同門に新選組二番隊組長・永倉新八がいる。 芹沢暗殺当日はその建物に居合わせていなかったので難を逃れている。永倉が手をまわしていたとの説もある。 近藤派による新体制後も隊務をこなしていたが、芹沢の3か月後、突然切腹を命じられた。 理由は今も謎のまま。享年21歳と相当若い。

佐伯又三郎  壬生浪士組・副長助勤、勘定方取締

長州出身 芹沢のお気に入りだったため壬生浪士組の副長助勤になれた。 長州のスパイだったとか、二重スパイだったとか、芹沢のお気に入りのウニコール(北洋の海獣)の根付を盗んだとか、佐々木愛次郎の妻を強姦したとか、いろいろ説があるが最後は芹沢の怒りを買い殺された。


試衛館一派

近藤勇 新選組・局長

江戸の試衛館・天然理心流4世を襲名。 将軍を警護する浪士組に参加。三番隊の小頭。 芹沢一派を粛清後、新選組の局長に就任。池田屋事件などで尊王派弾圧で活躍する。 鳥羽・伏見の戦いの後、甲陽鎮撫隊を結成するが甲州勝沼で敗北。 下総流山で官軍に投降し、板橋で斬首される。 f:id:Katemato:20190717184707j:plain

土方歳三 新選組・副長

多摩郡石田村の農家に生まれる。 天然理心流は目録までの記録しかないが、実戦に滅法強かったとされる。 近藤らと浪士隊に参加し、その後新選組の副長に就任、近藤の右腕として隊を支える。 局中法度を徹底的に貫き新選組内で粛清を繰り返し、鬼の副長と恐れられる。 戊辰戦争で各地を転戦。近藤の投降後も戦いを続け、 蝦夷共和国の幹部・陸軍奉行並となる。 箱館戦争、五稜郭で流れ弾に当たり戦死。

山南敬助 新選組・総長

仙台浪人。小野派一刀流・免許皆伝。 天然理心流・試衛館に他流試合を申し込み近藤に敗れる。それ以来近藤を慕い試衛館の門人と行動を共にする。 新選組が結成されると山南は近藤・土方に次ぐ総長となる。 大阪に出張中、商家に押し入った強盗と斬り合い腕を負傷し、以来刀を振れなくなったとされる。 伊東甲子太郎が途中で参謀として入隊すると立場を失った。 新選組を脱走。沖田総司に連れ戻され切腹。

沖田総司 新選組・一番隊組長

陸奥国白河藩脱藩。天然理心流・免許皆伝、塾頭を務める。 近藤・土方らとともに浪士隊に参加。新選組では一番隊組長に任命され、天才的剣術で活躍する。 しかし、池田屋の斬り込みで喀血昏倒。鳥羽・伏見の戦には結核のため参加できず。甲陽鎮撫隊に参加するも途中で離脱。 その後は幕府の医師・松本良順に千駄ヶ谷の植木屋に匿われていたが病死した。 f:id:Katemato:20190717184550j:plain

永倉新八 新選組・二番隊組長

松前藩脱藩。神道無念流・本目録。 剣術が好きすぎて脱藩。試衛館に出会い食客になる。 浪士隊に参加し、新選組では二番隊組長に任命される。池田屋事件や御陵衛士で活躍。 甲陽鎮撫隊で近藤と袂を分かち靖兵隊を結成し抗戦するが、会津が降伏したのを知ると江戸に戻る。 その後は杉村義衛と改名し、北海道小樽で過ごす。 最近は緋村剣心と共演したり、不死身の杉本と金塊を探してみたりと多忙。  f:id:Katemato:20190717184215j:plain

井上源三郎 新選組・六番隊組長

武蔵国出身。天然理心流を学ぶ。近藤勇の兄弟子。 免許皆伝を得るまで10年もかかり文武劣等とされたが寡黙で実直な人柄だった。 六番隊組長に任命され活躍、池田屋事件で8人を捕縛するなど実戦は強い。 鳥羽伏見の戦いで戦死。

原田左之助 新選組・十番隊組長

伊予松山藩出身。谷万太郎から種田流槍術を学び免許皆伝。 試衛館の食客になる。浪士組に参加。その後新選組の十番隊組長を務める。 池田屋事件、油小路事件などで活躍。坂本龍馬暗殺の下手人として疑われた。 鳥羽伏見の戦い、甲陽鎮撫隊まで参加するが、局長・近藤と袂を分かち永倉とともに靖兵隊を結成するが、その後すぐに江戸に戻り彰義隊に参加し、上野戦争で戦死した。 生き残って大陸に渡り馬賊になったという伝説が残っている。

藤堂平助 新選組・八番隊組長

江戸出身。千葉周作に北辰一刀流を学ぶ。 浪士隊に参加した際は隊内で最年少だった。 新選組では八番隊組長に任命され、池田屋事件などで活躍する。 参謀・伊東甲子太郎らと共に脱退し御陵衛士を立ち上げる。油小路事件で新選組に斬殺される。 大名・藤堂家の御落胤伝説がある。

斎藤一 新選組・三番隊組長

武蔵国出身。沖田総司、永倉新八と並び最強の剣士の一人といわれる。 試衛館の食客だった。浪士組には参加せず、京都に遅れて合流し、壬生浪士組から参加した。 新選組では三番隊組長・剣撃師範を務め、池田屋事件や御陵衛士事件など、新選組隊内の取締りでも活躍した。戊辰戦争では会津新選組の隊長に就任。 維新後は藤田五郎と改名し、警視庁で警部補。西南戦争に参加する。 大正まで生き、72歳で死去。

殿内・家里/根岸一派

殿内義雄

上総国武射郡出身。 江戸の昌平坂学問所で学ぶ。体格がよく、剣術に優れていた。 浪士組を募集する側の責任者の一人。浪士取扱・鵜殿鳩翁から家里とともに壬生村残留者をまとめるよう任命される。 根岸友山とは旧知の仲だったので近かったとされている。 その後、近藤派との派閥争いに敗れ、京都の四条大橋で暗殺される。壬生浪士組・新選組の最初の粛清の犠牲者となった。

家里次郎

伊勢松坂出身 名前は「じろう」ではなく「つぐお」と読む。 浪士組に参加し京へ。浪士取扱・鵜殿鳩翁から殿内とともに壬生村残留者をまとめるよう任命される。 芹沢・近藤一派との主導権争いに敗れ、殿内は暗殺、根岸らは脱退。 完全に孤立してしまった家里はその後切腹を言い渡され死去。 切腹の理由は明らかになっていない。根岸らが脱退した際、なんで家里も一緒に脱走しなかったのだろうか。

根岸友山

武蔵国大里郡出身。 千葉周作に北辰一刀流を学んだ後、自宅で剣術と学問を教えていた。 将軍警護のための浪士隊に参加。 近藤や芹沢とともに京都に残留したが遠藤丈庵や清水吾一、鈴木長蔵らと共に伊勢参詣を理由に脱走。 江戸の戻ると庄内藩・新徴組・取締役に就任するが退任。 以後は討幕派へ転身。勤王論を説く著書『吐血論』を刊行。

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遠藤丈庵

武蔵国忍藩出身。 浪士隊参加後には殿内・家里一派に属す。 老中・板倉周防守に将軍の東帰を勅止する建白書を提出。 根岸、鈴木、清水らと図り、京を脱して江戸へ。 江戸に戻った後、新徴隊に入隊。 総員小普請方伊賀者次席に召抱えられたため脱退。その後の消息は不明。

清水吾一

武蔵国埼玉郡羽生村出身。 浪士隊参加後には殿内・家里一派に属す。 根岸、遠藤、鈴木らとともに江戸へ戻り、新徴組に参加。 そのまま在籍し、戊辰戦争に参戦。激戦の地、庄内藩へ。 生き残ったが明治5年に病死。

鈴木長蔵

仙台藩浪人。 浪士隊参加後には殿内・家里一派に属す。 根岸、遠藤、清水らとともに江戸へ戻り、新徴組に参加。 清河八郎が暗殺されると脱退した。その後の詳細は不明だが、後に秋田の市街議員になった。

神代仁之助

水戸藩浪人。 浪士隊参加後には殿内・家里一派に属す。 殿内や家里が殺されると、根岸らと行動を共にし脱走。江戸に戻ると新徴組に参加。 その後、病気になり離隊。

粕谷新五郎

水戸藩出身。孝明天皇から密かに下賜された戊午の密勅の返還に反対して脱藩した。 薩摩藩に尊王攘夷の実行を訴えたため、水戸藩江戸屋敷に幽閉処分された。 その後浪士隊に参加。壬生浪士組として残留するも脱退。 帰郷した後天狗党の乱に参加が栃木宿で幕府軍の追討を受け、下野国・小山宿の持宝寺において切腹した。

阿比留鋭三郎

対馬藩出身。北辰一刀流。 浪士隊に参加。殿内・家里一派となり、京都に残留。 京都に着く頃にはすでに病に罹っており病死する。 壬生浪士組・新選組隊士として最初に死去した人物。