歴史ファイル

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

【新選組 全隊士②】 新選組ができるまでに入隊

文久3年(1863年)5月頃

松原忠司 新選組・四番隊組長、柔術師範

播磨国出身。北辰心要流柔術 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 坊主頭に白鉢巻き、大薙刀といういでたちだったため今弁慶と呼ばれた。 自分が殺害した浪人の妻を囲っていることが発覚。副長・土方にそれを咎められ、責任を感じ心中した。 死因に関しては創作の疑いがあり、諸説ある。 f:id:Katemato:20190724215230j:plain

島田魁 新選組・諸士調役兼監察、伍長

美濃国出身。江戸の心形刀流・坪内主馬道場で永倉新八と出会う。 永倉を追い、文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。 池田屋事件の発端古高俊太郎捕縛、油小路事件、近藤の襲撃などで活躍。 鳥羽伏見の戦い戊辰戦争を生き延びた。 その後、剣術道場を開いた。レモネードや開いたが、流行らず生活が困窮した。後年残した「島田魁日記」は新選組研究に多大に貢献した。 f:id:Katemato:20190724214922j:plain

安藤早太郎 新選組・副長助勤

三河国挙母藩出身。北辰一刀流、石堂流竹林派射術・総目録 弓の天才 東大寺での「通し矢」の射手として前代未聞の総矢数1万1500本達成、うち8685本を射通す日本最高記録を出した。その後慢心し蟄居させられたため脱藩。京の知恩院に身を寄せ虚無僧に身をやつした。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 芹沢派の野口健司の切腹介錯を担当した。その後すぐに八木家の餅つきを手伝い、人の首を斬った後だと知った主人や家の者は仰天した。 池田屋事件では奥沢栄助や新田革左衛門と裏庭の防御にあたったが、尊王攘夷志士の反撃にあい深手を負ってしまう。その傷が元で一カ月半後に死去した。

林信太朗 新選組・伍長

武蔵国出身。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。長州藩のスパイ事件で荒木田左馬之介が髪結い中に、背後から脇差で突き刺して殺害した。 甲州勝沼の戦いの後、永倉、原田らと靖兵隊を結成。 靖兵隊が瓦解した後も会津藩兵と共に新政府軍と戦い続ける。 水戸街道久留米藩との戦いで水戸諸生党たちと共に戦死。

佐々木愛次郎

摂津国大阪出身。美男五人衆の一人、新選組一番の美男剣士といわれている。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。柔術の達人だった。 愛次郎の恋人・あぐりが美人でだったため、芹沢鴨が妾として渡すよう言ってきたため、佐伯又三郎の勧めで駆け落ちしたが、これは芹沢の罠で、待ち伏せしていた佐伯に殺された。 長州の間者で新選組に寝返った為、長州に暗殺された説もある。19歳の若さだった。

川島勝司 新選組・諸士取調役兼監察方、伍長

京都川島村出身。棒術の達人。 池田屋事件禁門の変などで活躍した。 伍長に任命されるが、人間的に憶病とのことで役職を外される。 その後新選組の名を偽り金策したため、富山弥兵衛らに殺された。

中村金吾 四番隊平士・旗役

備中国出身。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 四条堀川の米屋に強盗が入ったと通報があり、永倉、斎藤ら5人で駆け付け強盗を討ち取ったが、その際鉄砲による怪我を負った。 御倉らの永倉暗殺計画を未然に防いだ。池田屋事件禁門の変などで活躍するが、慶応3年(1867年)6月に離隊。その後の消息は不明。

馬詰勘助(新太郎)

後述する馬詰信十郎の父。号を柳元斎と称して書がうまかった。息子・信十郎と共に入隊。 刀の使いかたがわからず、隊士の使い走りや世話などをしていた。 新選組唯一の親子隊士。 池田屋事件当日に父・勘助と共に脱走する。

馬詰信十郎(柳太郎)

中国地方出身。馬詰勘助の息子。文久3年(1863年)9年頃に父と共に入隊。 「美男五人衆」の一人。 美男で女好きだったが気が弱く、仲間の隊士達と飲みに行くこともできず、壬生村の南部亀次郎の娘醜女と仲が良かった。 女の腹が大きくなってきたため、他の隊士が「南部の子守のお腹がふくれた 胤(たね)は誰だろ 馬詰のせがれに 聞いてみろ 聞いてみろ」とからかったため、池田屋事件当日に父・勘助と共に脱走する。

蟻通七五三之進

名前が印象的。読み方は「ありどおし しめのしん」。「しちごさんのしん」ではない。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 それ以後の足取りは不明。池田屋事件までに脱走したといわれる。

濱口鬼一

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 それ以後の足取りは不明。池田屋事件までに脱走したといわれる。

田所弘人

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 それ以後の足取りは不明。池田屋事件までに脱走したといわれる。

佐々木蔵之助

摂津国大阪出身。佐々木愛次郎の兄弟ともいわれる。松原忠司の弟子。 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 尊王攘夷派を京から追放した政変「八月十八日の政変」に参加した。 それ以後の足取りは不明。池田屋事件までに脱走したといわれる。

家木将監

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

亀井造酒之助

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

杉山要司 文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

細川内匠

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

大松系斎

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

山田春隆

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。

三浦堅太郎

文久3年5月頃に壬生浪士組に入隊。幕府に提出した上書に名前を連ねる。 7月の在籍リストに名前がないため、短期間で離隊したといわれる。