歴史ファイル

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【日本人の芸術の才能】 外国人が見た日本の美的感覚、音感以外は最高レベル

外国に旅行に行くと日本では考えられないような物や出来事に出会ったりする。 現地の外国人に会うと考え方や価値観の違いに驚かされることが多い。 そのような別世界であることがまさに旅行の醍醐味だが、最近はインターネットや物流の発展などで価値観や製品などが似通ってきている。 世界中で日本車が走り、コンビニでコーラを飲み、似たような映画を見て、似たような音楽を聴いている。 SNSで同じ動画にLikeをつけて、同じゲームをダウンロードしている。

ただ、150年前の世界は違う。情報が限られた中で、幕末から明治にかけて諸外国の船が来日しはじめ、多くの外国人が日本の文化や性格や日常を記録に残している。

音楽

三味線の雑音

江戸時代末期。日本女性の間で一般的に人気だった楽器は「三味線」と「琴」。 これら二つの楽器は嫁入り道具としても選ばれ、女子が習う必須科目であるとされていた。 「三味線」を引くことは粋とされ、下町の女性に人気があった。 「琴」は上流家庭のお嬢さんがお稽古ごととして習った。 戦前までこの楽器は主流であったが、現代ではピアノやバイオリンにとってかわられている。

そんな三味線だが、欧米人の間では三味線の音に対する評判が悪い。 イギリス人の医師・外交官(初代・駐日総領事)であるラザフォード・オールコックは「三味線の出す音は我慢できたものではなく、これに比べれば骨を肉切り包丁でたたいてる音のがましだ、日本人はハーモニーやメロディといったものを知らない最たる人種で、そもそも音楽を知らない」と酷評している。 f:id:Katemato:20190814091439j:plain

インターネットであらゆるジャンルの音楽を聞ける現代と違って、西洋の音楽のみで育ってきた当時の欧米人が日本という未知の世界に入り込んで初めて聞く音に違和感を覚えたのは致しかたない。 オールコックの日本の音に対する評価について、同じくイギリスの外交官のアーネスト・サトウは「西洋の音曲とは全く異なった音程からなる日本の音楽に欧州人の耳を慣れさせるには、よほど長い年期を必要とするだろう」とフォローを入れている。 アーネストが言った通り、100年以上経った現代では日本の伝統楽器を弾く外国人は少なくない。演歌を歌う黒人がいるぐらいだ。

犬の遠吠え

江戸末期にアメリカに渡った日本人がいる。 村垣範正 村垣は海防掛として蝦夷地・樺太を巡視、露使応接掛としてロシアのプチャーチン艦隊の応接、箱館奉行として蝦夷地の開拓などを行い、安政の大獄後は外国奉行に任命された。 安政7年(1860年)、村垣は日米修好通商条約批准書交換のためアメリカへ派遣した使節団の副使に任命された。

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アメリカへの航行の途中、一行はホノルルに滞在した。 村垣はアメリカ人の家庭に招待され、家の少女の独唱を聴いて、「夜更けに犬の遠吠えを聞くようで、笑いをこらえるのに苦労した」と感想を記してある。 日本人側からも欧米の音楽は聞きなれず、欧米人が日本の音楽に違和感を感じたように、日本人も欧米の音に違和感を覚えていた。

工芸・美術・美意識

工芸、もしくは造形技術に関しては音楽とは正反対に欧米人から礼賛されている。 明治元年に来日したオーストリア外交官・アレクサンダー・F・ヒューブナ―は日本人の美意識に対して、「欧州では美的感覚は教育によって育まれるが、日本人の美的感覚は天性のものだ」と言っている。 さらに、ヨーロッパの農民は収穫にかかわる事柄ばかりで土地の魅力については語られない。日本人は風景を楽しみ、家のかたわらに樹木を植える。 芸術の趣味はヨーロッパでは一部の裕福な人の特権であるのに対し、日本の場合は下層階級までいきわたり、すべての日本人が自分の植えた木や花を眺め、水音に耳を傾ける。と欧州人と日本人の違いを述べている。

日本人の音楽に関して辛口の批評を残したイギリス人・外交官ラザフォード・オールコックは日本人の芸術に関して、「すべての日本人の職人的技術は非常な優秀さに達している。青銅製品、絹織物、漆器、治金、意匠、製品の仕上げなどはとても精巧に作られている。ヨーロッパの最高の製品に匹敵し、それぞれの分野で我々が模倣できないような品物を製造することができる」と最高の言葉を使って記録されている。

漆工芸は欧州でも評判がよく、ジャパンという国名が名詞化して漆を意味するぐらいになった。 印籠や根付などに代表される小物細工や象牙細工などの技巧は個性的で精巧、多くの欧米人が当時の日本の技術品に魅せられた。 スイス全権大使として来日したエメー・アンベールは「江戸の職人は真の芸術家である」と感想を述べている。

オールコックは絵画について、日本人は遠近法を知らないため空間を無視していると風景画を批判したが、人物画と動物画については、「活き活きしていて、写実的で鮮やかに描写され、そのタッチや軽快な筆の動きは、ヨーロッパの最大の画家でさえうらやむほどだ。日本の絵師はただ形だけを研究したのではなく、動物の習性や性格も非常に詳しく観察している」と高く評価している。 日本では二束三文で購入できる平凡な画でさえ、日本美術の水準の高さを示していると述べている。 f:id:Katemato:20190814091625j:plain

自然愛好家

日本人の美的感覚は自然愛好の精神から来ていると当時の多くの欧米人が語っている。 明治初期に来日していたアメリカの動物学者であるエドワード・S・モースは日本人の自然愛好について以下のように述べている。 「この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐・凪・霧・雨・雪・花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷――自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである」

デンマーク海軍で日本最初の海底ケーブルを設置したエドアルド・スエンソンは日本人を「狂信的な自然崇拝者」と呼び、ごく普通の労働者でさえ、お茶を飲みながら美しい景色を堪能する。そのため茶屋は客の目を楽しませる立地を選んでいる。 私たち日本人にとってはごく当たり前のものも欧米人にとってはこのように特筆すべき内容だった。

いつの時代も日本の音楽が世界的に遅れているのも(もちろん世界レベルの知名度がある歌手がいるとしても)、日本人が音楽より美術・工芸のが優れているのも、日本の誇る職人技術がすぐれているのも、世界を席巻しているアニメなども、日本が形成さてたころから周りを彩る自然とともに脈々と育まれ、現代の世に受け継がれた日本人の感性が作らせたものに違いない。