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【上杉鷹山ー中編】改革には不満が付き物 七家騒動

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目次

宣誓と不満

治憲は米沢本国へ入ると、2年前に江戸で作成した改革案を藩士に告げてあるかと『千坂高敦』に尋ねた。すると千坂は、本国に相談もなく勝手に作った案であること、また藩主自ら伝えるべきだとして2年間何も手を付けず伝えることもしていなかった。それ以上に千坂は治憲に対し、上杉家には上杉家のしきたりがある。それを今後は私たちが教えていくので勝手に提案など改革案など作らないよう諫言してきた。治憲は、この大藩意識、形式主義が米沢藩をここまで追い込んだのではないかと心の内で叫んだ。

治憲は足軽を含む全藩士を城中に呼び集めた。千坂ら重臣の反対もある中で、米沢の実態を話し、新藩主として何をしたいかを話そうと決意した。藩政改革といいながらも、結局依然と同じ、税を重くし、倹約させられ、給与を減らす話だろうと、誰もが敵視を隠さずにいた。九州の小藩の若造が、米沢の事情を知らず勝手にやっていることだと皆がなめてかかっていた。 治憲は話し始めた。

米沢の現状を打破するために藩政改革を行いたい。藩主や藩庁が富むためではなく、領民のための政治を行いたい。しかし、私一人では限界がある。今後は改革に関する情報はすべて開示すうる。皆で議論してもらいたい。身分や年齢、経歴は関係なく領民にとって良い案があるものは遠慮なくいってもらいたい。必ず藩主である私のところまで届くようにする。貧乏に生まれようとも、障害を持っていても、老人、病人、妊婦、子供、このような弱者を守ることを重視し、今後口減らしのようなことを行うものは厳罰に処す。誰もが互いに協力し合うこと。藩は民を助け、領民は互いを助ける、そして自助、つまり自らを助けることをもって初めて相乗効果が生まれる。これをもとに藩政改革を行う。 治憲は話し終わると、最後に新たな人事を発表した。

執政・筆頭家老『竹俣当綱』 奉行『莅戸善政』 近習『木村高広』『倉崎恭右衛門』『志賀八右衛門』『佐藤文四郎』

今まで中央から追いやられていた者の突然の抜擢の発表を受け、重臣をはじめ一般藩士たちが偏向人事だと不満の態度をみせた。 また、治憲の下士に頭を下げる卑屈な態度や、下々の人が知る必要のない内容まで話したと、治憲の行動にいちいち不満を見せた。この話を聞いた農民たちですら、これ以上年貢を取られるわけにはいかない、木綿を着て、一汁一菜といいながらも城の中では贅沢をしているだろうと悪口を言い合った。

特産品

治憲は、時間が許す限り、領地内を自分の足で歩いて回った。もともと米沢は米作に適していない土地だったが、農民たちは苦労をして米を作れるようにした。しかし、農民がいくら頑張ったところで米を中心に農業を盛んにするのは無理がある。そこで治憲は、東北地方の気候や土地柄にあった植物を植えることを推奨した。また、その植物の原料をとるだけではなく、それを使って製品を作ることを推奨した。

漆>>> 和ろうそく、染料 桑>>>養蚕、米沢織 紅花>>>紅、染料 楮(こうぞ)>>>和紙 蚕>>>生糸 青苧(あおそ)>>>縮綿織物 藍>>>染料 金漆の木>>>笹野一刀彫 小野川の湯>>>塩 相良人形 成島焼 鯉 f:id:Katemato:20200225195626j:plain

ただ、これらの産業を行うには問題があった。人が不足していたのだ。ただでさえ農民は他藩へ逃げ出してしまっていて、残っている者は米作だけで手いっぱいであり、とても他の植物を管理している余裕がない。

そこで治憲は、まずは老人や子供に鯉の餌やりを担当してもらい、それで育てられた鯉を販売する。妻や母は機織りや糸を紡いだりする。そうした利益の一部は当人たちに還元する。そうすることによって、老人や女性の生活的自立も図れると考えた。また、藩士の家の空いているところに桑などを植えるなど、空いてる土地なども有効活用しようと考えた。

しかし、話は順調にはいかない。治憲のその提案を耳にした重臣たちは一同反対した。武士の権威はどうなるのだ。こんな屈辱には耐えられない。武士は農民とは違う。全藩士が反対するに決まっていると重臣たちは憤った。 この時代、平等という概念はない。社会は士農工商で分かれていて士は士のやるべきことを、農は農のやるべきことをというのは当たり前のことだった。

前田橋

しかし、少しずつ参加してくる者たちが現れ始めた。荒れ地が開墾され始め、水田以外は桑や漆の木などを植え、池や沼には鯉が泳ぎ始めた。家からは機織りの音が聞こえ始めた。藩士の中にも、こういった藩の状況を憂いていた者が少なからずいて、待っていましたとばかり進んで行動するものが現れた。

1773年、米沢城外に福田橋というのがあった。古くなって修繕が必要だったが、藩財政は困窮していて人夫を雇う金がなかった。すると20-30人の侍が無料奉仕すると自分たちで勝手に直し始めた。反治憲派に後ろ指をさされて笑われたが、関係ないとばかりに続け、ついに橋は修復された。

治憲が江戸の参勤交代から帰国すると、その橋のたもとまで来た。通常、藩主や上級武士は橋を渡る際は馬上から降りないのだが、治憲は、「おまえたちが苦労して修繕した橋を馬で渡ることはできない」とわざわざ馬上から降り徒歩で渡った。そして、橋を修繕した人々にお礼の言葉を述べた。橋を修繕した下級武士たちは感動して涙を落した。

反乱 七家騒動

治憲が竹俣らを重臣に就任させる前に、7人の米沢藩の重臣に就いていた者がいた。

『須田満主』 『千坂高敦』 『色部照長』 『長尾景明』 『清野祐秀』 『芋川延親』 『平林正在』

「もう我慢できん!」 領民に媚び、伝統あるしきたりを無視して、形式を破っている。藩の人事を自分の周りの者だけで揃え、反対するものを左遷した。我々は上杉家の伝統を真に受け継いでいるのだ。これ以上の冒涜はない。領民に媚びるような政策はありえない。我々は士農工商の頂点にいるのだ、このようなことにはこれ以上つきあってられない。竹俣や莅戸、木村などが藩主・治憲を惑わし、このような侮辱的な失政を行わせたのだ。

7人は、治憲にこの事実を突きつけ、今までの提案をすべて撤回させ、竹俣ら新しい重臣の役を解き、我々が行う正しい政治に横やりを出させない。もし治憲がこれを拒むようであれば、実態を幕府に報告し、隠居させる。そして養子縁組を解除してもらうのだ。 7人は、朝早く治憲を突然訪ねに来た。小姓の佐藤文四郎は怪訝な顔で、早朝より無礼であると断ったが、須田らは政務に関することだと引かなかった。ではそのような重要な内容であるなら竹俣ら重役も参加するべきなので、登庁してくるまで待つようにといった。しかし、7人はすでに手を打っていた。竹俣らに偽の指令で本日は出仕に及ばずと伝えていたのだ。

治憲と小姓の佐藤文四郎は小さな1室で7人に囲まれ、一冊の建言書を渡された。内容は治憲とその重臣たちの政治に対する批判が連ねられていた。いくつかの問答が繰り返された後、治憲は大殿(いわゆる先代の重定)はこの内容に賛同しているのかと問いた。須田らは承認を得ていると答えたが、それを嘘だと看破した治憲は、先代に確認するといって立ち上がり部屋を出ようとした。7人は入り口に立ち塞がり、さらに芋川は治憲の袖をつかみ引っ張った。それを我慢できなかった小姓の佐藤が芋川に対し怒鳴り取り押さえようとすると、小姓風情が無礼な、と佐藤に怒鳴り返してきた。

その時部屋の障子が開き、先代の重定が現れた。 「重役たるものが、主君に対し何たることをするか!」と7人に対し一括し、一同は突然のことに驚き平伏した。重定は、さがれ、追って沙汰するというと7人は部屋から追い出した。 重定は治憲に、このようなことが起きていたとは知らなかった。あなたの政策に対する努力は理解している申し訳ない、と治憲に詫びを入れた。藩政はすべてあなたに託している、処分は自分に遠慮なきよう行ってくださいと言った。 f:id:Katemato:20200225195408j:plain

処分

それから7人は出仕を拒否するようになった。治憲は彼らに対し出仕するように頼みの手紙を書いたが、一向に出仕する気配がない。治憲はこのままにしておけないと思っていた。竹俣や莅戸らも即刻ご処分を行うようと意見した。 須田らから治憲に渡された建言書は、全藩士が賛成していて、すべての者の意志だという。それが本当であれば、改革が達成される日は遥かに遠い。藩士と直接話して真意を確かめる必要がある。

治憲は全藩士を集めた。全藩士の前で藩主みずからこの建言書を自ら読み上げた。誰も言葉を発しず若い藩主の朗読に耳を傾けた。治憲は読み終わると再度、藩士たちに意見を求めた。始めは誰も答えなかったが、藩士の一人が、「恐れながら申し上げます。最近の御政治はごもっともで、非の打ちどころがございません。以前は城の務めが苦でありましたが、今は楽しゅうございます。何のための改革かはっきりしているからでございます。」と答えた。すると、他の藩士たちも堰を切ったように意見を言い始めた。そのまま改革をお進めください。私どもも精進いたします。

治憲の改革への情熱が伝わっていたのだ。灰の国だと思った米沢の国に今は火が燃えている。今行っている改革は正しいと感じた。 治憲は藩内に厳戒態勢を取らせ、7人を拘留した。全員を集めると、建言書の内容を全藩士に確かめたところ、賛成しているという事実はなかったことを伝えた。情に厚い治憲だったが、この件を処罰しないわけにはいかなかった。徒党を組み、政事を批判し、お上をないがしろにし、嘘を用い欺いた行動は許されざるものである。

治憲は判決を下した。 『切腹』 須田満主、芋川延親 『隠居閉門』『知行召上げ』 千坂高敦、色部照長、長尾景明、清野祐秀、平林正在

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